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ポーランドの子どもたちのキャンプに参加して
「母と子」2002年3月〜4月号より


1.旅を通しての成長の物語 P1

小寺隆幸(中学教員)



ヴェステルプラッテ

2001年8月、私たち家族3名(共に中学教員である私と妻、中学3年の娘の萌)はポーランドのスカウトのキャンプに招かれ、9歳から20歳までの23名の若者と17日間寝食を共にしながらリュックを背負いポーランド北部を旅しました。その中でゲーテの小説などに描かれた“旅を通しての成長の物語”のよき伝統が今も息づいていることを感じたのです。もちろんポーランドも資本主義に移行し個人主義の風潮が強まる中で、スカウトに参加する子も減ってきています。しかしだからといって時代遅れとは言えません。むしろこれからの日本の教育を考える上で様々な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

〈10年前の長崎デーの出会い〉
まず、日本ではスカウト活動と関わりがない私たちがなぜこのキャンプに招かれたのか、その経緯をお話しましょう。1991年、私たち一家4人はポーランドやチェコの平和のモニュメントを巡る旅をしていました。そして8月9日、ポーランドのルブリン市近郊のマイダネク強制収容所跡を訪ねたのです。ここでも数十万人のユダヤ人がガス室で殺されたのですが、見学客がひしめくアウシュビッツとは異なり人影はまばらでした。そこで20名ほどのスカウトの子どもたちに会いました。11歳の息子と同じ年の子も大量殺戮の事実に向き合おうとしていることに感動しながら、46年前の今日長崎でも多くの命が奪われたんだよと話しかけてみました。子どもたちは原爆の事を良く知っていました。そして慰霊碑の前で一緒に鶴を折ったのです。それがヤーツェクと彼の率いるスカウトとの始めての出会いでした。
ヤーツェクはポーランド南部の歴史ある町オポーレに住む小学校の音楽教師です。地域でスカウトを組織し、毎年夏に1ヶ月程度の移動キャンプを率いポーランドの各地を巡りながら、その地域の戦争の爪痕にも子どもたちの眼を向けさせているのでした。私たちも学校や地域で戦争と平和についてどのように子どもたちに伝えていったらよいのか模索していたこともあり、ぜひヤーツェクを通してポーランドの平和教育の一端に触れたいと思ったのです。その後英語が話せない彼と片言のポーランド語で手紙のやり取りを重ね、翌年の夏には家族4人でオポーレを訪ねご自宅に泊めていただきました。そこで9歳の娘のゾーシャと会いました。彼女は6歳だった娘・萌とすっかり仲良しになったのです。その後94年にも再会し、99年夏には南部の丘陵地帯で行われたキャンプの一部に参加させていただきました。そして今回は私たちの参加を前提に計画されたキャンプに招いていただいたのです。


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