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ポーランドの子どもたちのキャンプに参加して
「母と子」2002年3月〜4月号より


1.旅を通しての成長の物語 P2

小寺隆幸(中学教員)



〈キャンプの生活〉

地図

このキャンプは8月1日オポーレ市を出発し、23日に戻るまでの24日間の日程です。まず普通列車で十数時間かけてポーランドを縦断してバルト海沿岸の町まで行き、そこからは徒歩やバス、列車で海沿いの国立公園や湖沼の多いカシューブ地方を回り、最後に大都市グダニスクとマルボルクの古城を訪ねる旅です。私たちは8月7日にバルト海に面した小さな港町ウェバで合流しました。
宿泊は全て学校ユースホステルです。どの町もいくつかの学校はユースとして使えるように調理室やシャワー室が設けられており、6月から8月末までの夏休みの間、教室に簡易ベッドが設置されるのです。宿泊費は一泊10ズオチ(約300円)。こういう施設が各地にあるから長期キャンプが可能なのです。
ちなみに24日間の参加費は食費、交通費など全て含めて一人770ズオチ(約23000円)。これに地域の企業の賛助金やスカウト組織からの補助をあわせてまかなっているようです。ポーランドの平均月給は1500ズオチ位と聞きましたので決して安い金額ではありませんが、これだけの体験をさせられるのなら親として出そうと思う額ではないでしょうか。
長期間のキャンプですから睡眠や休息をたっぷり取り、ゆったりしています。そのこともあって誰一人病気になる子はいませんでした。毎日起床は8時ごろでした。ただ当番班の子はもう少し早く起き、朝食の準備を始めます。一番小さい9歳の少女カミーラも朝早くリーダーに起こされ、眠い目をこすりながら愚痴一つ言わずキッチンで仕事をしていました。当番の子は食事中も給仕や片づけにかいがいしく働きます。食べ終わったお皿をさっと片付けるなどの気配りの細やかさに驚きました。
起床後すぐにスカウトの服に着替え、外で朝の会を行います。ここで一人一人の体調を確認し、その日の予定などを連絡するのです。この中に自由発言の時間があり、昨夜見た夢のことをユーモラスに言う子もいれば、リーダーへの注文を手厳しく言う子もいました。でもとても和やかなムードでした。
朝食は簡単なオープンサンドかコーンフレークと紅茶です。その後移動のない日は10時ごろ市内見学に出かけます。博物館や教会の見学、自由行動、湖でのボート遊びなどでした。昼食は大体町のレストランで取ります。ポーランドでは午後3時ごろ取る食事をオビヤドといいメインの食事になります。スープ、肉や魚料理、野菜、パンなどです。夕方帰ってきて、各自洗濯物をしたり歌ったり部屋でチェスをしたりして過ごします。9時ごろ夕食。これも手作りのオープンサンドの場合が多かったです。
食後のミーティングは歌の会です。ポーランド語で歌はピオセンカ。なんとすてきな響きでしょう。ヤーツェクが弾くマンドリンにあわせ、キャンドルの灯の中で歌う子どもたちの声には心が洗われるようでした。ポーランドのスカウトの歌だけでなく、「アメージンググレース」のメロディにポーランド語の詩をつけた「ヤヴィエム(私は知っている)」も子どもたちは大好きでした。私たちが紹介した「さくら」と「夏の思い出」も気に入っていただき、日本語で毎回歌いました。
子どもたちの就寝は11時ごろ。その後リーダーはその日の反省や翌日の予定を話し合いました。
宿舎を移動する日は朝食・清掃後、荷物を持って出発します。24日間分の荷物といってもさほど大きくないリュック一つだけ。毎日自分で洗濯しますから着替えもそれほど持ってこないのでしょう。
移動は列車を使うこともありますが、次の町まで6時間ほど歩くこともありました。人気のないうっそうとした森の中を歩くのはさわやかで楽しいことでした。野生の鹿に出会うこともありました。ある時、丘を歩いていると野原に大きな石が転がっていました。ヤーツェクがなぜこんな石があるのだろうと問いかけ、青空教室が始まりました。このとき私も湖沼が多いカシューブの地形は氷河がもたらしたものだということを実感できたのです。今、日本では山や町を歩いて自分の体で風土を感じたりそこの文化に接する経験をしない子が増えています。一歩一歩歩くことで見えてくることがたくさんあるのに残念です。


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